アラロワ おぼろ世界の学園譚 | 004 スモールスモールサークル | 第32話 長い青い夜。(和の視点)

長い青い夜。(和の視点)

『いや、混乱させて悪い……』
 ——アッキーの声が、初めて暗いトーンを帯びたので、僕は慌てて話をつなげる。
「でも、それって……えーっと、他に誰が知ってるの?」
『学校は、先生とかは知ってる。生徒だと……たぶん、委員長だけ』
「え? 瀬加さんは知ってるの?」
『ああ。えっと、せかっちは中学で同クラだったんだよ』
あっちで?」
『どっちでも。言ったろ、俺はどっちも変わりないって。あらためて確認はしていないけど、委員長も自覚者だろ。だから知らないはずはない』
「あー、そうか。僕も自覚者を全員は把握していないけど、そうか。確かに、瀬加さんってあえて黙っていてくれそうだもんね。じゃあ、他の……わだっちや、ぶんちゃんは知らないんだね」
『ああ。話してない。正直……話すのは怖い。だってまだ、俺たち仲良くなって一ヶ月もってないし……』
 ——確かに。それはその通りで、僕たちは短期間で信じられないほど仲良くなった。四人の役割分担が、奇跡的に上手うまくいっているのだと思う。リーダーの風格があるわだっち、いつもムードメーカーのアッキー、ぼそっと面白いことを話すぶんちゃん、そして受け身で地味だけどよく話を聞く僕……?
『なごさんはどう考えても、珍獣三人を上手うまく回す役割だと思うぞ。ボケにもツッコミにも回れる』
「そうなの!? それは僕、気づいてなかったかも」
 ——本当にそれは気づいていなかった。意外な評価。
『だから、この関係に俺も甘えすぎているところがあってさ……あまりにも居心地が良くて』
「わかるよ」
『でも、いつかは話すつもりではいる。わかって欲しいというよりも、俺はそうするしかないっていうか』
 ——確かにアッキーらしいと思った。アッキーは、おそらくずっと裏表のない、裏表を作れないタイプなんだろう。
『今回の合宿、参加するつもりだったんだよな。実は』
「そうなの?」
『玻璃先生とも相談して、たとえば風呂とかはずらしてもらうとか、いろいろ計画は立ててたんだけどな』
「体調悪くなった?」
『ああ、月に一度ののみの市が開催中で』
「え? ちょ、ちょっと待って。そんな表現初めて聞いた!」
『俺のおまたは今、謝恩祭の真っ最中なんだよ』
「表現が独特すぎる! 絶対それ、持ちネタにしてたでしょ!」
『ああ、中学ん時、そう言ったらウケてたからつい』
 ——あっちでの記憶を重ね合わせると、男子が遠巻きにどん引きしている姿が目に映る。自虐ネタの一種のつもりなのかもしれないけれど、アッキー、それはよくないよ。
「えっと、中学の時……って普段どうしてたの?」
『三年間ジャージ通学だったよ。学校も親も理解があったし、で、俺も特に周りに隠してもなかったんだよな。アッキーはそういうやつ、って』
 ——だから瀬加さんは知っているのか。
『実は高校もそうするつもりだった。あっちでの話なんだけど、受験の時に学校と話し合って、男子の制服で通うことになってた』
「だから今もそうってこと?」
『ところが、こっちは少し話が違うんだよ。学校は変わりなかった。でも、親がね』
 ——言葉をためるアッキー。
こっちの親は、俺の立場を快く思っていない。いや、渋々認めてはくれているんだけど、あっちほど好きなようにやれって感じではないんだ。だから家には男子と女子の制服が両方ある』
「え? そうなの?」
『うん? 着てるとこ写メ見たい? 送ろうか?』
「……いや、僕、今スマホじゃないんだけど。見たくないこともないこともないこともないけど……」
 ——見せてくれるって言うなら、見たいよ。そりゃ。
『とにかく、そういうのもあって、家が今、とても窮屈でさ。学校の方で……クラスではみんなに言いそびれる形になってしまった。結果的には、それはそれで心地良くなっててさ。玻璃先生には、それも話してあって』
 ——僕は、アッキーが一番楽な形であって欲しいと思う。黙っていれば、仲の良い、いつもつるんでいる四人の中で一番背が高くて、ぶんちゃんより声が低いアッキーのことは、おそらくは誰も気がつかないだろう。万に一つも——と言ったのは本心だった。
 だけど、学校生活ってそれだけで済むんだろうか。アッキーはちゃんと切り抜けていけるんだろうか。それはアッキーにとって、楽なことなんだろうか——
『そもそもさ、俺、あっちではカウンセリング受けてたんだよ。でもこっちってまだ、おぼろげにしか世界ができてないじゃん。玻璃先生がなんとかしようと、専門医を探してくれてるんだけど、これがなかなか』
 ——玻璃先生は担任で、養護教諭でもあって、普段は保健室にいて特に自覚者の悩みを一つ一つ聞いて対応してくれている。僕もひよさんも、玻璃先生に頼りっきりだった。この電話だって、玻璃先生がわざわざ話しやすいようにセッティングしてくれたに違いなかった。

 僕らはその後、書き切れないほどたくさん話をした。入学していきなりアッキーが話し掛けてきた時の印象、アッキーから見た僕のエグさ——彼の言葉で言うならば……、そしてわだっち、ぶんちゃん、それぞれにカムアウトした時に、どんな反応をするだろう、と。
 最後はずっと笑い合っていた。気がつけば時間はすっかり遅くなっていて、事務所の壁に掛けられた、いかにも事務用品という古めかしいデザインの時計は、長針も短針も真上を指していた。
 僕とアッキーは学校での再会を約束し、お互いに電話を切ろうとしたけれど、名残惜しくてなかなか切れず、何度かふざけて笑い合った後、僕が電話を切った。
 ——友人のカムアウトという大きなイベントを、なんとか、やり切った、と、思う。思えた。
 僕は大きく息を吐き出して、椅子から立ち上がり、軽くうなずいてから扉を開けた。
 事務室を出たすぐ横に、いつの間にかパイプ椅子が置いてあって、玻璃先生が座ったまま船をいでいた。
「……おお、終わったか。お疲れさん」
「お待たせしました。楽しかったです」
「えー? まあ、それならそれでいいけど」
 たぶん、玻璃先生はアッキーが僕に何も伝えられなかったことも、想定していたのだと思う。僕はだから、ちゃんと話し合ったことを玻璃先生に言った。
「まあ、お前たちが楽しかったのなら、それでいいよ」
「アッキーと、あと、ひよさんのことも、よろしくお願いします」
 僕は軽く頭を下げた。
「えー……しょうがないなぁ」
 玻璃先生は大きなあくびをしながら、背を向けて廊下を歩いていった。
 僕は部屋に戻って、真っ暗な中そろそろと自分の寝床に入った。誰かのいびきが聞こえる。それ以外はとても静かだった。

 僕は、アッキーとの会話を思い出しながら、何か失言がなかったか、望まない形でアッキーを傷つけたりはしていないか、反芻はんすうし続ける。
 とにかく、早く学校で、アッキーと会って話をしたい。二人きりで話すことは滅多めったにないかもしれないけれど、もうこんな話は二度としないのかもしれないけれど、それでも別に構わない。アッキーと、わだっちと、ぶんちゃんと、ふざけ合って楽しい話がしたい。
 そんなことを考えていると僕のまぶたはだんだん重くなり、ちょうど寝落ちしようかというタイミングで、ポケットに入れたままだったスマホが一度、ムンという音とともに震えた。
 ——長い長い夜はこれで終わりではなかった。全然——まったく終わっていなかった。


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