第5話 鬼VSお兄さん。
教室を飛び出し、廊下を駆け抜けて校舎の外に出た。
童子山はどこに行ったんだ?
俺は急ぎ足で校庭を横切り、普段はあまり訪れることのない旧校舎の裏手へと向かった。息を切らしつつ視線を巡らせ、旧校舎の角を曲がると、辺りが途端に薄暗くなった。最初は建物が原因で日陰になっているのかと思ったが、実際はそうではなかった。
目の前の先は、まるで世界が存在していないかのように真っ黒だった。ゲームの未解放エリアのようで、立ち入り禁止空間のように見えた。あまりの現実感の薄さに、思わず立ち止まった。
――これは考えすぎるとまずい。
真っ暗闇の壁の手前、ちょうど境目のような場所に童子山がいた。すぐに見つけられたのは幸運だった。しかし童子山は跪き、空間の、裂け目の下の方に手を伸ばしている。
――なぜか、とても危険な行為に見えた。
俺はゆっくりと歩み寄り、童子山を刺激しないように慎重に近づく。足音を忍ばせながら童子山のそばまで来ると、低い声で問いかけた。
「……何をしているんだ?」
童子山は闇の下の方に手を伸ばしながら、俺に振り返ることなく答えた。
「花を摘むんだ」
俺はおそるおそる童子山の視線の先を追った。真下にどこまでも続く漆黒の崖、童子山の伸ばした手の少し先に、花が突き出ているのが見えた。
それは特に珍しくもない、見慣れた花だった。パンジーとかビオラとかそういう名前の花だということは、俺にもわかる。
「なんで花なんて摘むんだ?」
俺は童子山の顔を見ながら聞いた。童子山の表情が少し曇った。
「……命令されたから……命令を聞かないと、妹を返してもらえない」
「妹? 人質に取られてるのか?」
童子山は黙って頷く。
「私はもうこれ以上失敗できないんだ。花を摘まないと妹は戻ってこない」
納得できない点はいくらでも思い浮かぶ。しかし、今はそれを追求する時ではない。
「何にしてもお前じゃ届かないだろ。俺が取るんじゃだめなのか?」
「今初めて会った人に、それはお願いできない」
「……俺ってそんなに影薄いの?」
俺は「えーんえーん」と泣いた。童子山はそんな俺をシカトして、
「私が受けた命令だから、私がやらないと意味がないんだよ、物朗くん」
と、真顔で答えた。
あれ、なんでこいつ俺の名前を知っているんだ?
童子山は再び手を伸ばし、花を摘もうとしていた。俺はその様子を見守りながら、心の中で葛藤していた。せめて体を支えてやるべきか。しかし、女子の体に気軽に触れるのはためらわれる。今初めて会った相手だしな。
童子山の手が震えバランスを崩しそうになるたびに、俺の心臓は緊張で高鳴った。体を精一杯に伸ばし、なんとか花に指先が当たったその時、突然、聞いたことのない音が周囲の空間に響き渡った。
それは風の音のようでもあり、金属が擦れ合わさる音のようにも聞こえた。不快な音だった。
突如、眼前の壁が大きく揺れたように見え、振動が俺の体に伝わった。童子山と俺の体を支えていた地面が大きく隆起し、俺たちは前方に放り出された。
前方、それは永遠の闇の底だった。空中を不格好な体勢で舞いながら、ああ終わるんだ、と思った。
やがて、時間の流れがゆっくりになり、まるでゼリーか何かに包まれたような重い空気が俺の体を覆った。俺たちは宙に浮かんだまま、動けずにいた。その時、突然、目の前の空間が立方体に切り取られ、その隙間から男が顔を出した。
「あーあーあー。二人も消えられちゃったら困るんだよねー。でもまあ必死さは伝わったから、合格にしてあげるよー」
男の言葉が終わると同時に、俺たちはゆっくりと下に向かって降ろされ始めた。時間をかけて元の地面に着地した俺は、胸を撫で下ろして深く息をついた。
「妹ちゃんは元の場所に戻しとくよー。怒られたくないから僕は逃げるよー。じゃあねー」
軽薄な口調の男は、もうどこかへ消えてしまったようだった。どこへ?
その時、遠くから足音が聞こえ、息を切らしてこちらに駆け寄ってくる、三人の生徒の姿が目に入った。
「市島先輩?」
俺は先頭にいた、見覚えのある女子生徒に声をかけた。
「あいつは……逃げられたか」
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