第7話 さらば生徒会室。
「強制参加ではないからな? 決してパワハラではないからな?」
指示通りに備品の詰まったダンボール箱を抱える俺に、市島姫姫先輩が言った。いや俺に、というよりこの場にいる一年生、つまり俺とイルカのぬいぐるみ抱きしめ女子、つまりひとこと瀬加一図と、柔和な表情が存在しない女子こと童子山に向かっての言葉だった。
八木先輩と日吉先輩も加わった市島軍団に呼び出された俺たちは、気づけば生徒会室引っ越しの渦中にいた。脳内を流れる『道化師のギャロップ』の軽快なリズムに合わせ、ひとと童子山はガラクタ箱詰めの名手として活躍、俺はダンボール運搬職人としてスタンバイ中。
そして、とりわけ事情を説明されることはなく、市島先輩は労働者に鞭を振り続けている。
「先輩たちが、生徒会の役員だったとは知りませんでした」
ひとの言葉に、市島先輩と八木先輩、日吉先輩が顔を見合わせる。束の間の静寂の後、八木先輩が口を開いた。
「一図ちゃん、あなたは大きな勘違いをしているみたいね」
八木先輩の言葉に、ひとが首を傾げた。こめかみに人差し指を置き、首を30度ほど傾ける。この時折見せる演技がかった仕草の目的は、謎のままだ。
「もしわたしたちが生徒会のメンバーなら、こんな夜逃げまがいの引っ越しをするわけないでしょ」
八木先輩は楽しげに笑いながら言った。
え、夜逃げって楽しいの? 困惑していると、日吉先輩が会話に割り込んだ。
「そのぉ、ねえ。勝手に使わせてもらってたんだよね。ほら、この学校ってまだ生徒会ないじゃん」
「先輩すみません、意味がわかりません!」
ひとが活力に満ちた声で叫んだ。その元気さは、間違いなく好印象だ。良かったな。
「つまり、生徒会はこれから誕生する予定なんだよ。この世界が段階的に具現化されてきたってこと」
市島先輩は紙束を片付けつつ、やや面倒臭そうに答えた。
先輩の説明が今ひとつ要領を得ないせいで、ひとは相変わらず首を左右に揺らしている。なんなんこいつ。
「じゃあ、これから生徒会選挙が行われるんですか?」
俺はたいして興味はないものの、一応確認のため聞いてみた。
「そうよ。公式発表はまだだけど、学校の年間行事に生徒会選挙が追加されているのを確認したの」
八木先輩が説明した。
「じゃあ、市島先輩が立候補して新会長の座を狙う……とか?」
俺は半ば真剣に、半ばからかうように言ってみた。
「新田くんは、わたしが生徒会選挙で役職に就けると思うの?」
「ああ……ムリっす。すみません」
俺は正直に答えた。
「なんだよなんだよ! バカにして!」
市島先輩がぷくっと頬を膨らませ、床を両足で交互に踏み鳴らして抗議の意を示した。頭上には湯気が立ち昇っている。
うん、やっぱりムリっす。
「そもそも、どうしてこの世界はまだ完成していないんですか?」
ひとが素朴な疑問をそのまま口にした。
「その辺りの詳しい話は、新しいアジトに移動してからな」
「新しいアジト」
俺とひとが思わず口を揃えた。こんなところで気が合うのは、まあ旧知の仲だからだろう。
しかし、先ほどから童子山は一切喋らない。黙々と作業を続け、視線を合わせようともしなかった。
童子山の様子が気になったが、あえて声をかけることはしない。俺はそういう性格の男だからだ。たぶん。
「終わったか?」
不意に大人の女性の声が耳に入った。振り向くと、扉の前に白衣を纏った先生の姿があった。肩まで伸びた黒髪は美しく手入れされ、知的な雰囲気を溢れさせるその立ち姿は、落ち着きを醸し出していた。
「曽我井先生、手伝ってくれてもよくない?」
市島先輩が少し不満そうに言った。
「こう見えても、私は忙しいんだ」
曽我井玻璃先生はこの学校の養護教諭で、普段は保健室で生徒の健康管理と精神的サポートを担当している。新しい環境に戸惑う一年生たちの避難所になっていると耳にするが、さすがに俺たちみたいに新しい世界に転生して右も左もわからない、なんて悩みを持ち込める場所ではないだろう、と考えていた。
「童子山、調子が悪そうに見えるけど、大丈夫か?」
曽我井先生が、うつろな表情の童子山を心配そうに見ながら問いかけた。
「大丈夫です。また相談に行っていいですか?」
童子山の言葉に、曽我井先生が優しく頷く。そして俺とひとの方に目を向け、
「君たちも、新しい世界に適応するまでは大変だと思う。何か悩みがあれば、いつでも保健室に来て話をしてくれていいからな」と穏やかに声をかけた。
どうやら、俺たちこそがその避難所を利用すべき存在だったらしい。なんとなく大人には話せないと思い込んでいたが、曽我井先生はこの世界の特殊事情を理解しているらしい。
「じゃあみんな、そろそろ荷物を運ぼう。先生、鍵は持ってきてくれた?」
市島先輩が問うと、曽我井先生は白衣のポケットから鍵を取り出し、軽く揺らして見せた。
「なくすなよ」
子ども扱いされたことに反発したのか、市島先輩は曽我井先生の手から素早く鍵をひったくった。
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