第23話 決意の一服。
玻璃は教壇に立ち、クラス全体を見渡した。引き締まった表情を浮かべながら、挨拶を始める。
「おはようございます。遅くなりましたが、今日から担任を務めることになりました曽我井玻璃です」
軽く頭を下げながら、玻璃は言葉を続けた。
「保健室の業務との調整に時間がかかり、担任就任が遅れてしまったことをお詫びします」
話しながら、玻璃の心の中でモブ谷の存在が曖昧になっていく。モブ谷が受け持っていたこのクラスには、最初から担任がいなかったことになっている。
〔これは……モブ谷のいた世界から分岐した別の世界ってことなんか?〕
そんな思いが頭をよぎったが、すぐに払拭した。
〔考えても仕方ない。目の前の生徒たちを優先せな〕
玻璃は静かに決意を固めた。
「では、これから全員に軽く自己紹介をお願いします。氏名と、入学してからの学校生活について一言、添えてください。特に言うことがなければ『何もない』で結構です」
こんなことは入学式の後にモブ谷がやっただろうが、その存在自体が消えた今、玻璃はあらためてこの時間を設けることにした。
玻璃は名簿を手に取り、最初の名前を呼んだ。
「じゃあ、挙田から」
玻璃の言葉に反応して、挙田秋が勢いよく立ち上がった。その表情には満面の笑みが浮かんでいる。
「挙田秋! みんなのアッキー!」
教室に挙田の声が響き渡った。
〔え、そこまで突き抜けたキャラやった?〕
玻璃は一瞬面食らったが、すぐに冷静さを取り戻し、表情を変えないよう意識した。
「学校生活はどう?」
玻璃は穏やかな口調で尋ねる。
「あ、それについては、特に何もないです! 以上!」
そっちはないんかい、と心の中でツッコミを入れる玻璃。クラス内に軽く笑いが起こった。
秋は着席しながら、さりげなく玻璃にハンドサインを送ってきた。
〔はぁ? 場を温めておきました、的な意味か? ノリについていけない生徒が青ざめた顔してるやん〕
お調子者の秋に取り乱されそうになった玻璃だったが、深呼吸をして心を落ち着かせた。
〔冷静に、冷静に〕
玻璃は気持ちを切り替え、次の生徒の名前を呼んだ。
「じゃあ、猪篠」
☆★☆
玻璃は教室を出て、生徒に聞こえないよう気配りをしながら、ふううっと長く息を吐き出した。初めての担任の仕事を終えられたことに安堵する。
廊下を歩きながら、生徒たちの様子を頭の中で整理していく。個性的な面々で、むしろそのおかげで自覚者たちが浮き上がることもなかった。
保健室へ向かう途中、校長室の前で、夜澄校長がにこやかな笑顔で立ち、こちらに向かって手招きをしていた。
〔やれやれ……やな〕
玻璃は疲れた表情でため息をつき、校長室の中へ入った。
――ソファに腰を下ろした夜澄校長は、ためらいもなく本題に入った。玻璃は困惑した様子で聞き返す。
「なんですか? みのり園って。私がそこに?」
みのり園は他の管理者が運営している施設らしい。玻璃の表情に明らかな警戒心が混じり始める。
「時期は未定ですが、みのり園から数名の生徒を、我が校で受け入れる予定なんです」
玻璃は怪訝な顔をしながら、静かに聞いている。
「玻璃先生には、みのり園を視察して、園長の指示に従ってもらいます」
玻璃は混乱して、思わず大きく声を荒らげた。
「なんでですか? ヨスミさんの仕事ちゃうんですか?」
「管理者同士の関わりにはいろいろと制限があるのよ。下手したらまた世界が終わっちゃう」
ヨスミは声のトーンを落として、真剣な顔で答えた。
「なんやそれ……私一般人なんやけど……」
玻璃が力無く返す。
「だけど、玻璃さんは肝が据わってる。それだけ評価してるのよ」
玻璃はヨスミの言葉に微かな怒りを覚えた。ヨスミがこちらを見下しているように感じられ、むっとした表情を浮かべる。
「肝の据わった女なんて、いくらでもいるやろ」
それでも、玻璃は内心では現実を受け入れ始めていた。ヨスミの言うことを聞く以外に選択肢はない。世界の運命がかかっているのだから。
渋々ながらも、了承する気持ちが芽生え始める。しかし、完全に納得したわけではない。
「受けるかどうかの前に、一つ聞いてもいいですか?」
玻璃は慎重に言葉を選んだ。
「向こうの管理者は、一体、どういう人なんですか」
玻璃の質問に、ヨスミの表情が一瞬曇ったように見えた。そして、重々しい口調で語った。
「管理者『Z』……当校の二年、市島姫姫の姉。市島魅后」
重苦しい雰囲気が校長室を支配し、玻璃は気持ちが張り詰め始めているのを感じた。
しばらく沈黙が続く。しかし、心の奥底から湧き上がる言葉を、玻璃はもはや抑えきれなかった。決意を固め、ゆっくりと口を開いた。
「ヨスミさん、タバコ吸ってきてもええ?」
(了)
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