第3話 鬼VSイルカ、そして俺。
千年ウォークが賞レースで注目を浴びた漫才のネタを、脳内でツカミから再現しているうち、いつの間にか教室の前に到着していた。笑いの余韻に浸りながら扉に手をかけたその瞬間、中から激しい物音と悲鳴が飛び込んできた。
こういう時、何か起きれば放っておけない系の主人公ならば、すぐに「何があった……うっ……なんてことだ」と突入するのだろうが、不幸にも俺は小心者なので、か細い声で「失礼しまーす」と言いつつ、ゆっくりと扉をスライドさせるのが精一杯だった。
扉を開き教室の中が見えた瞬間、目の前の光景に息を呑んだ。
教室の真ん中で、シャチだかイルカだかのぬいぐるみを必死に抱きしめた女子生徒が、怯えたような表情で立ちすくんでいた。
そして、その女子生徒に無表情で近づく童子山の姿。左手に持ったはさみを、ぬいぐるみに突き立てようとしていた。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、な、何をするつもりなの?」
ちょがちょい多めのイルカ女子が、童子山に甲走った。
童子山は一瞬動きを止め、イルカ女子をじっと見つめた。その無表情な顔が、かえってイルカ女子の緊張を煽っているように見える。
教室には数名の生徒しか残っておらず、ぎこちない空気の中で遠巻きに事態を見守っていた。
言うまでもなく俺も、凶器を振りかざすやつの前にしゃしゃり出るような、蛮勇を振るう気などさらさらなかった。
――なかったのにな。俺は、イルカ女子とハサミ鬼の間に割って入るという、主人公さながらの行動を取っていた。まだ主人公だと確定されたわけでもないのに。
童子山は驚き怯んだように見えたが、下ろしかけた左手を俺の眼前で振り上げた。
――ひいっ。蚊の鳴くような悲鳴を上げた俺の両手は、咄嗟に自分の頭を覆っていた。いや、そりゃそうだろう。俺はチョコレートと暴力が大嫌いなのだから。俺のことを情けないなどと言うやつがいれば、カカオマスに埋もれて死んでしまえばいい。
しかし、童子山が俺の脳天にはさみを突き立てることはなく、イルカ女子と二人で憐れんだ視線を向けてくるだけだった。ドルフィンガール、お前もか!
童子山ははさみを机の上に置き、感情の見えない声でゆっくりと話し始めた。
「言われたからやってるんだ。こうするしかないんだ」
イルカ女子は、話が見えないという表情で、童子山に手を差し出したり引っ込めたりしながら狼狽えていた。
俺は「やれやれ」と口に出して言いながら、
「誰に何を言われたんだよ」
と続けた。
「いきなり現れて、会話のイニシアチブを取ろうとするお前は誰だ」
「さっき面と向かって告白されたばかりだろ! 忘れたのかよ!」
やれやれ……。これから何度「やれやれ」と言わされるのか。
童子山は肩をすくめ、淡々と答えた。
「学校で孤立しろって言われた。誰かは知らない」
「学校で孤立するために、なんではさみを持って暴れてるんだよお前は」
「みんなに好かれてる……カースト上位の子と仲違いしたら、翌日からクラス内でいじめが発生して、翌々日には手っ取り早く孤立できるかな、と」
どんなフローチャートを組んでるんだ、こいつは。
俺はわざとらしく肩を揺らしながら、再び「やれやれ」と言った。こんなに連発するもんじゃないな。既に飽きてきた。
「やり方が間違いすぎてるだろ。だいたい、学校にぬいぐるみを持ってきて抱きかかえているようなやつがカースト上位なわけないだろ」
童子山は一瞬考え込み、表情を変えずに答えた。
「……確かに」
「ふあああ?」
イルカ女子が目を見開いて叫んだ。ふあああってなんだよ、ふあああ。
「てか、さっきまで『誰でもいいから付き合え』じゃなかったか? ラブもコメもバイオレンスも突き抜けて、別のクエスト受けてるじゃねえかよ」
おかしな話だ。いや、明らかにおかしい。もうこれは、この童子山という邪鬼が文字通りおかしいだけなんじゃないかと疑いたくなる。
しかしそうであれ、これは俺一人で解決できるものじゃない。先輩に引き合わせるしかないだろう。
「そういうわけで、童子山。俺は今からお前を連れて……ほあっつ!?」
振り返ると童子山の姿が消えていた。廊下を走る彼女の足音だけを残して、教室の後ろの扉が開いていた。
「くそ! 逃げやがった!」
「ちょっと待ってよ」
慌てて追いかけようとしたが、イルカ女子が複雑な表情を浮かべながら俺の前に立ち塞がった。
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