第30話 夜の前。(和の視点)
午前中は班決めの後、仕出原高校の校歌の練習をさせられたが、これがまったく遊んだことのない高難易度の音ゲーをプレイしているようで、戸惑いの連続だった。
お手本を聞かされても、何度聞かされたところで、歌詞もメロディーもおぼろげにしか伝わって来ず、虫食い状態で覚える外ない。
それでもひとりひとり歌わされるわけではなく、練習のたび、班ごとの合唱だったので、たとえば僕の班なんかは僕だけが上手く歌えないだけなので、誤魔化しがきかなくはなかった。
大変そうだったのは瀬加さんのグループだ。あそこは自覚者が固まっていたようで、瀬加さんも、童子山さんも、新田くんも、比延さんも、誰も歌えない。それぞれに「あー」だの「うー」だの唸っているだけで、ちっとも進行しなかった。
担任が玻璃先生なのはラッキーだった。そこは巧妙に取り繕って、「緊張し過ぎだぞ」だの「もういいから後で練習しような」だの、別の理由で歌えないかのように見せかけてくれている。
聞き取れないような歌詞とメロディーを、そつなく熟す、自覚していない生徒を見ていると、やれ自覚者の方が、このおぼろ世界でのハンデが多いのではないかと思ってくる。
そういえば、ここ木槌山はどうして、おぼろげな存在ではなく、ちゃんと場所も地名も認識できているのだろう。疑問点。
昼食時に、配られた弁当を食べながら、ぶんちゃんが話し掛けてきた。
「なごさん、歌苦手だったんだなあ」
僕は黙って苦笑いを返すしかなかった。
「俺も歌うの苦手なんだよな。今度、みんなでカラオケに行って慣れようぜ。アッキーも誘って。あと女子も誘おうぜ」
わだっちが僕とぶんちゃんの肩に手を回し、体重を掛けてきた。慣れるも何も、カラオケに行ったところで僕に歌える曲なんて存在するんだろうか。あっちとこっちの世界共通のヒット曲……とか。
女子、という言葉に反応したぶんちゃんが、わだっちに「誰を? お、俺、ギャルの子たちがいい」と食い下がる。
明らかに三谷さん目当てなようだ。『ラブコメの主人公になるための35の法則』のうちの一つでも達成できるといいな、ぶんちゃん……。
その三谷さん率いるギャル軍団とは、午後のホームルームの後、再び屋外に集まってのレクリエーションで早くも相見えることとなった。
のだけれど。
――結論を言えば、ぶんちゃんにはなんら見せ場はなかった。日頃から影の薄い僕が言うのもなんだけど、それはもう、まさしくわだっちの一人舞台で、ことの終わりにはわだっちがギャル軍団から全幅の信頼を勝ち取り、「ししょー」「ししょー」とあちらからこちらからギャルたちの黄色い声援が飛ぶほどの……まあ、詳しくは後に公開されるかもしれない『逆光のモルッカー和田山』を読んでもらったらいいと思う。公開されたらだけど。
とにかく、ぶんちゃんはすっかり拗ねてしまい、恋事情を知ったわだっちがフォローに苦心することになったのだけれど、最初からぶんちゃんがわだっちに話しておくべきだったし、そもそも、すっかりわだっちに懐いてしまったのは猪篠さんと横須さんであって、三谷さんは「おう」と「そうか」しか言わなかったので、結局のところ何かが変わったわけではないのだけれど。
まあ、わだっちに「三谷さんにアピールする時間を作ってやろう」と約束を取り付けたぶんちゃんが、すっかり機嫌を直して舞い上がっていたので、世は並べて事もなし、で片付けてしまってよいのではないかと思う。
たいしたことは何も起こらなかった。
僕にとっても、この世界にとっても。
とどのつまりは何も無し。
ではご機嫌よう――とはならないもので。
夕飯が終わって、宿泊棟の部屋に戻り、少し落ち着かない時間を……それでも、談笑しながら楽しく過ごして……もっとも、話していたのはほとんどぶんちゃんとわだっちで、僕はたまに「なごさんも言ってやってくれよお」とか「なごさんもそう思うよな」とか、振られる会話に適当な相槌を打っているだけで、それでも友人として、自分のことをちゃんと尊重してくれているのはありがたいな、なんて考えていた。
わだっちが言った。
「いや、ここにアッキーがいたら大騒ぎだぜ。ぶんちゃんとか、今頃いじられまくってるって」
ぶんちゃんが言った。
「アッキーにいじられるのはわだっちだよお。早速女子と距離縮めちゃって、とんだ女たらしだよお」
そうだ。僕らは、いてもいなくてもアッキー、アッキーで、本人は普段「みんなのアッキー」なんてちょけたことを言っているけれど、少なくとも僕たちにとってアッキーは、確かにみんなの挙田秋だった。
それは彼の明朗快活なキャラクターだけでなく、僕たち三人はアッキーがいいやつだとわかっているから。誰にでも分け隔てなく、面白くて、楽しくて、そしてちょっとした気遣いがまったく嫌みにならない彼の性質を知っているから。
だから、僕らはアッキーロスに陥っていた。だから、僕は時間を気にし始めていた。アッキーが、あとで連絡するって言っていたけれど、それはいつのことなんだろう、と。
気がつけば消灯時間になり、僕らは一応それを守るべく木製の二段ベッドに早々と潜り込んで、午後に大活躍したわだっちはすぐに寝息を立て始め、あまり活躍しなかった小活躍のぶんちゃんもそれに続いた。
僕はすぐに寝付けず、うつ伏せになって窓から外を眺めていた。
――アッキーはどうなったんだろう、と考えながら。
すると、部屋の扉がノックされ、扉が開いて玻璃先生が顔を覗かせた。
「柏原、ちょっと」
と、小声で手招きをされる。僕はすぐに、ああ、アッキーのことだなと察したけれど、部屋の外に出るように促され、下で寝ているぶんちゃんを起こさないよう、そろそろと梯子を下りた。
そのまま外に出て、廊下を歩き、いくつかの扉を通過した右側の部屋に入るように言われ、通されたそこは事務所のような小さな部屋だった。
机と、椅子と、並べられた書類のようなもの、そして電話機があった。
電話機は˙受話器が机の上に横向きに置かれている。繋がっている、という意味なのだと気づいた。
「私は外で待ってるよ。時間は気にしなくていいから、電話が終わったら部屋から出ておいで」
玻璃先生はそう言うと、僕一人を残し、部屋の外へと出て行った。
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