アラロワ おぼろ世界の学園譚 | 007 分水嶺のふたり | 第46話 昵懇なふたり。

第46話 昵懇なふたり。

 ——方法は簡単なはずなのに、いざとなると恐怖心が邪魔をする。意識が別世界の入り口に触れるたび、不安に押し潰されそうになって元の世界に逃げ帰ってしまう。そんなことを何度も繰り返した。
 それでも何度か試しているうちに、少しずつ恐怖が薄れていく。別世界へ意識を向ける違和感も、テレビのチャンネルを切り替える程度のことに思えてきた。
 そして——ついに、私は世界の境界線を越えた。別の世界へと到達した。
 目の前に広がる光景は、一見、元の世界と変わらない。でも、感覚的には明確な違いがある。体で感じる空気の質、温度、そして焦げた匂いが漂ってくる。どこかで、ごみでも焼いているのだろうか。直前までは存在していなかった匂いだ。
 魅后さんの姿を確認し、ほっとする。見慣れた存在が隣にいることで、少し緊張が和らいだ。
「質問なんですけど」
「うん?」
 混乱する頭の中から、一番気になっていた疑問を選び出して口にする。
「この世界にも、この世界の私たちがいるんですよね。もし出会ってしまったらどうなるんですか?」
「いい質問! まず、私はこの世界にはいない」
「いないんですか?」
「うん。管理者オペレーターは世界の枠の外にいるような存在だから、それぞれの世界に一人ずつ自分がいる、なんていうことはないの。もっと高次元から見た世界では、私も複数存在するのかもしれないけれど。少なくとも私には観測できない」
 つまり、管理者は世界の構造の外側にいる存在で、私たちのように世界の中に定着した存在ではないということか。だから魅后さんは一人しかいない。けれど、もっと上の次元から見たら、それは魅后さんにもわからないってことなのか。
「で、この世界にもるるは存在するんだけど、コグであれノンコグであれ、同一世界に同一人物が複数存在することは有り得ない。干渉以前の問題だね」
 ノンコグというのは、コグつまり自覚者ではないという意味だろう。
「じゃあどうして、るるが今この世界に来て存在しているのかというと、それは既にるるがこの世界のるるとは、別の存在だからなんだよ」
 理解が追いつかず、私は魅后さんの顔をぽかんと見つめ返した。
「元の世界のるるは何も変わらないんだけど、光継——私の光を継いだことによって、物理的な性質を変化させてるのね。粒子と波動の二重性を持つようになったことで、世界の境界を通り抜けられる特殊な状態になった。量子のトンネル効果みたいなものかな」
 私の頭では処理しきれないような話だ。チーさんの方が詳しそうだ。あのぬいぐるみは意外にも博識で、大抵の疑問に答えてくれる。
「るると、この世界のるるは別人なの。もし、るるの知り合いと出会ったとしても、相手がこの世界のるると同一人物だと認識することはない。だから普通に過ごしていたらいいんだよ」
 話の筋は通っているように思える。けれど、姫姫先輩から聞いていた話と矛盾する部分も多そうだ。このズレはなんなんだろうか。
 疑問点はともかく、今は別のことが気になり始めていた。この世界の私は、ひとちゃんは、物朗くんは、どんな風に過ごしているのだろう。会いたくなってきた。
「あ、でも魅后さん、姫姫先輩に用事があったんじゃないですか?」
 私は、出会いのシーンを思い返していた。空から降りてきた魅后さんは、妹の居場所を探していたはずだ。
「姫姫にっていうか……姫姫の様子も知りたかったんだけど、用事は他にあるの。こっちの学校の管理者オペレーター、ヨスミと打ち合わせがあるのよ」
「じゃあ、戻りましょう」
「ごめんね。こっちの世界の探訪は、また日を改めてしましょう。戻り方は同じだからね。目を閉じて、意識を合わせて……」
 暗闇の中、魅后さんの声に導かれながら意識を左上に滑らせる。私の存在は、スムーズに元の世界へと戻った。来た時よりもずっと簡単な作業だった。
 私たちは連絡先を交換した。スマホを手にした魅后さんは、新しい友達とやり取りをする女子高生そのもので、管理者オペレーターコグという立場の違いなど、すっかり忘れてしまいそうになる。
 私は、魅后さんを校長室の前まで、短い道のりを案内した。魅后さんは扉の前で立ち止まり、私に笑顔で手を振った。本当に普通の、友達との短い別れのようだった。

 ——ひとりで寂しく家に帰り、食事の支度をしている最中にスマホにメッセージが届いた。魅后さんからだった。
 近いうちの再会を約束した簡単なメッセージとともに、SNSのアドレスが載っていた。私はそれをクリックした。
 魅后さんのアカウントが表示される。そこに書かれていたのは、アカウント名と簡単なプロフィール。
 アカウント名は『宙鳥そらとりみこん@Vtuber』だった。

 (了)


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