アラロワ おぼろ世界の学園譚 | 008 与奪城の月 | 第48話 ぴゅあの魂を奪う椅子。

第48話 ぴゅあの魂を奪う椅子。

 春日シャイニーツリーが暮らす住居に、『与奪よだつじょう』、または『与奪よだつしろ』などという仰々しい名前を付けたのは、管理者オペレーターのエイプだった。
 シャイニーツリーは、前の世界の設定を引き継がない転生孤児だ。前の世界での家族関係は完全に消え去り、新しい家族も与えられていないという、特異な転生を遂げた存在である。
 与奪城——エイプが創り上げたその空間で、シャイニーツリーは生活を送っていた。エイプによって雇用されたメイドのアンジュに支えながら、この特異な屋敷で暮らしている。
「今日は行かない」
 玄関ホールの正面にある螺旋らせん階段を、シャイニーツリーが降りてきた。寝ぐせの乱れた頭に、だぶついたTシャツ、膝下ひざした丈の短パン。
 仰々しいやかたに不釣り合いな、ごく平凡な中学生の姿だった。
「ダメだよ。昨日も来なかったじゃん!」
 ぴゅあが、強い調子で言い放つ。
「替わりに明日と明後日あさって行くからいいだろ」
 明日明後日あさっては土日だろ……と思いつつ、蓮花は黙って様子を見ていた。春日の性格がわかるようになったから、シャイニーツリーがこういう態度を取るときは、どのような説得も無駄なことを経験から学んでいた。
 それでも、始めの頃と比べれば随分と進展があった。当初は完全に拒否されていた訪問も、今では気が向けば学校に顔を出すまでには変化が起きている。
「だいたい、別に俺が行かなくったって、お前らが落とし前付けさせられるわけじゃないんでしょ」
 シャイニーツリーの物言いには、時折、前の世界の設定が染みついたような恐ろしさが混じる。
 だが、ぴゅあも蓮花もそんなシャイニーツリーの言い回しにも慣れてきたので、あまり気にはしなかった。
「とにかく学校行け。俺はまだ寝る」
 シャイニーツリーが階段を上り始めると、ぴゅあは一目散にその後を追いかける。蓮花はため息交じりに「やれやれ」とつぶやき、さらに後ろをついていった。
 シャイニーツリーの部屋は、与奪城の建物の広さからは想像もつかないほどコンパクトな部屋で、シャイニーツリーの望み通りにエイプが創り上げた空間だった。
 ゲーミングPCに機能的なPCデスク、ゲーミングチェアなどが置いてあり、グリーンを基調とした色合いの家具が配置されている。
 蓮花が部屋に入った時、その脇に配置されたシングルベッドの上に、シャイニーツリーはもう倒れ込んでいて、真後ろに回転させたゲーミングチェアをぴゅあが独占していた。
「だからお前ら……帰れって……」
 シャイニーツリーは顔を腕で覆ったまま、眠気と疲れが混ざったような声を漏らした。
「三熊、今日あたしたちも学校休もう」
「はあ? 何言ってんのよ、童子山。ダメに決まってんでしょうが」
「だってこの椅子さあ、ヤバイ。超ラクチンなんだよ。首も、肘掛けも、体が溶けてく、ダメニナル……」
 ぴゅあは高級ゲーミングチェアの快適さにすっかり魅了されてしまい、言葉を途切れさせたまま動かなくなった。そのまま眠りに落ちたのか、まだ意識はあるのか、蓮花には判断がつかない。
「いや、どうすんのよこれ。童子山、春日、起きてよ」
「春日は……ずるいよ。こんな……人を冥道みょうどうたたき落とす……椅子なんて……。自分ばかり……ズルイ……」
「来週までに……あと二つ用意してやるから……待ってろ……」
「いや、わたしの分まで用意してくれるのかよ! 寝るなよ! 健康ランドかここは!」
 やがて、二人の寝息が部屋に響き始める。ぴゅあを置いて一人で登校することもできず、蓮花は諦めたように本棚の漫画を手に取った。
 二時間ほどって、ぴゅあが目を覚ました。ぼんやりとした意識の中、状況を把握し始めたぴゅあは、突然我に返り慌てふためき始めた。
「ヤバイヤバイヤバイ! 寝ちゃったよ三熊! 学校学校学校!」
「落ち着け。童子山は今、熱を出して家で寝てることになっている。るる姉ちゃんが学校に連絡を入れてくれてるはず。私はペットボトルのコーラと引き換えに、兄貴に体調不良の連絡をしてもらった」
「完全犯罪! 三熊ヤバイ! えーあたしが寝てる間に、お姉ちゃんにまで連絡してくれたの? ホメテツカワス」
「童子山もるる姉ちゃんにお礼しときなよ。あと、起きたらアンジュさんがお茶用意してくれるってさ。まあそういうことだから、今日は下校時間まで一日ここでのんびりと」
 勝手に物事を決めていく蓮花に、いつの間にか起きていたシャイニーツリーの冷ややかな視線がそそがれた。
「お前ら……俺の部屋は休憩所じゃないぞ……」


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