アラロワ おぼろ世界の学園譚 | 004 スモールスモールサークル | 第34話 おぼつかない夜。(ひよりの視点)

第34話 おぼつかない夜。(ひよりの視点)

 わたしは二度と、なごさんのことで後悔をしたくない。
 でも。それでも。
 わたしはまたこうやって、なごさんの後ろめたさを利用して、自分の我がままに付き合わせようとしている。
 なごさんは断ないだろうという計算もあった。
 これまではそういう好意――と言ってもいいだろう。少なくともなごさんはわたしのことが嫌いなわけではないと思う――を利用するような真似まねはしないよう気を付けていた。
 でも。それでも。
 今回だけはどうしても、なごさんの協力を仰ぎたかった。
 そも、そもそも、わたしが睡眠中に見ただけの映像を、今現在の現実の世界に当てめようなどとは考えていない。夢のようなピースが綺麗きれいに実世界にまるとは思ってもいない。
 わたしはこれでも、現実主義者リアリストなんだ。
 本当は、夢から目覚めてすぐ行動に移したかった。けれども、誰もいないところで何かあればまた、なごさんは憔悴しょうすいしてしまうだろう。
 夢は、時間とともに薄らいでいく。残滓ざんし辿たどることしかできなくなる。虫食いだらけの記憶を呼び起こすためには、より鮮明な映像が残っている方がいい。
 そう考えた。
 なごさんは唯一、わたしとあちらを共有しているから、何かをサジェストしてくれる役割になり得るかもしれない。
 そう考えた。
 否否いやいやいや、そうじゃない。わたしは。
 わたしがどうしても共有したかったのは、今の感情のたかぶりであって、初めてあちらでのまともな人間関係の記憶を手繰り寄せたくて、この孤独感から、なごさんに救い出して欲しいと願っているだけだ。
 だから、奈央ちゃんにだけは絶対に話せない。こちらで不遇だったわたしを助け出してくれて、今も支えになってくれている奈央ちゃん――には、あちらのことで煩悶はんもんしている弱り切った姿を見せたくない。
 だってわたしには奈央ちゃんがいて、若菜ちゃんがいて、気に掛けてくれるなごさんがいて、決して孤独なんて感じてはいけない。それが道理なんだ。
 でも。それでも。
 抱え込みすぎた苦しみに、あらがえないでいる。
 弱いわたしがいる。
 ――断片的に覚えているあちらの光景は惨烈なものでしかなく、特に中学三年生になってからは、あの時以外、まともに言葉を発した記憶すらない。
 あの時だって、わたしが一方的に怒鳴りつけたようなものだった。何を今更……こうなるまで放置しといて……浮かんでくる言葉を吐き出すこともできずに、わたしはなごさんに、小さな悲鳴を上げさせるほど大きな声で、「帰れ」と罵声を浴びせた。何度も。
 それだって。
 今思えば、別に誰でもよかった。
 ただ、お見舞いにくるだなんて、奇特なクラスメートがいるだなんて思ってもいなかったから。なごさんに連帯責任をかぶせようと、わたしの性格の嫌な面が噴出してしまった。

 ――わたしたちは互いのスマホのライトを地面に、周囲に向けながら、まずキャンプファイヤー場を目指して歩く。屋外施設のおおよその場所は覚えている。あちらで三年前に来たのもあるが、パンフレットを何度も読み返している。
 それでも辺りのあかりは少なく、足下は常に覚束おぼつかないため、移動には思った以上に時間が掛かる。
 向かい合わせに建っている宿泊棟の間、ちょうど真ん中に庭園があって、石で囲まれた周囲に、ぽつんと小さなライトがともっている。キャンプファイヤー場はそのすぐ近くにあり、それを横切ると炊飯場に辿たどり着く。
 ――不意に聞こえた話し声に、わたしたちは瞬時に反応した。スマホの光を服で覆い、しゃがみ込んで暗がりに身を寄せる。息を殺しながら、声の主が誰なのか確認しようとした。
「キキちゃん、また怒られるからやめときなよ」
「ちょっとバーナー使うだけだって。お湯沸かして、コーヒー煎れたいじゃん。コーヒーミルもドリッパーも持って来たんだ」
 あきれた様子で後ろからついていく八木さんと、ナップサックを背負ったキャンパー気取りの市島さん……。顔見知りとはいえ気づかれると面倒なので、人差し指を立てて口に当て、なごさんの方を向く。
 市島さんたちが、反対方向へ遠ざかったのを確認し、立ち上がった。
 キャンプファイヤー場を後にして、炊飯場へとゆっくりと進む。かまどやシンクが並ぶ、屋根付きの区画の脇の地面を照らすと、奥の方へ真っ敷石道しきいしみちが続いている。
「あのさ、ひよさん。僕、ここ来たことある。思い出した」
 なごさんが出し抜けに言った。
「この林道を進んでいくと、旗が並んでるよね。道に向かってこう、両方からお辞儀するように」
 なごさんが、両手の指の先を合わせ三角形を作ってわたしに見せてきた。林道を少し進むと、道の左右に竹筒が設置してあって、斜めに旗竿はたざおを挿せるようになっている。
 いとも簡単にあちらの記憶の一部をよみがえらせたなごさんに対して、やっかみそうになる。
「一念の旗」
「何それ」
「クラスごと、一りゅうの旗にひとりずつ字を書くの。一念発起の一念。目標とか願望とか、そんな感じのことを書くの、一年間の一年ともかかってるんだよ」
 なごさんに説明する。
「つまり、ひよさんが夢に見た友達は、その一念の旗を挿してたってこと?」
「たぶん……もちろん、何かが見つかるなんて思ってないよ。だって、わたしたちはまだここに来て、旗に何も書いてないんだし。どのクラスもたぶん」
 何かしらの手掛かり、イメージの断片でもいい。あちらつながる何かが欲しかった。それ以上を望みもしていない。
 現実は、とてもつまらないものだと知っているのだから。
 林道を進み、すぐに旗の並ぶ場所に辿たどり着いた。辺りは真っ暗だったけれど、二台のスマホを駆使して、ぼんやりと全体を照らし続ける。いくつもの大きな布が斜めに垂れ下がっている。
 一番手前の旗に光を当て、端っこを手に取って広げてみた。黒いペンで書かれた、それぞれ筆跡の違う文字が目に入る。しかし、何が書かれているかはわからなかった。
「なごさん、これ読める?」
「いや、読めない。文字だっていうのはわかる。たぶん下の小さいのは名前だよね。でも、わからない」
 諦めて次の旗、次の旗と光を当てながら広げていく。どの旗も、見ていると頭がもやもやしてくる。これは自覚者であるわたしたちが認識できていないからだ。
 奈央ちゃんの彼氏と同じ。わたしと奈央ちゃんは、若菜ちゃんが語る彼の名前を認識できない。
 なら、ここにはなごさんではなくて、自覚者じゃない者を連れてくるべきだったんだろうか。若菜ちゃん? でも、どんな理由をつけて連れて来られる?
 一番奥の旗まで行って、諦めて引き返そうと考え始めていた。記憶は何もよみがえりそうにない。なんのヒントも得られそうにない。
 ――だから。
 びっくりした。
 遠目にも、一つだけなんの違和感もなく、堂々と主張している旗があったから。
 一番端、一番奥にあるその旗は、真新しい、おそらくつい最近設置されたもので、圧倒的な存在感でわたしの目を奪う。いやでも応でも駆けつけて、すぐに確かめるしかない。
 そっと、旗を広げる。大きな文字でまず目に入ったのは、
『みのり園 一期生』
 の文字だった。
 学校名なのか団体名なのかは、わからない。ただはっきりしているのは、文字を理解できるということだ。周りの文字に目を凝らす。メッセージと個人の名前らしきものがそれぞれ。
『華麗に復活します テミ』
『またスポットライトを浴びたい 薫子』
 ――だけど文章として読み取れたのはそのぐらいで、他は、みみずのぬたくったような、判別のできないものばかりが並んでいる。
 でも。それでも。
 何か手掛かりになるものが欲しくて、わたしは旗竿はたざおに巻き付いている旗を丁寧に外して、全体が見えるように広げた。
 そして。わたしは見つけた。
『日和に会う 宗悟』
 ――瞬間、脳がはじけたような衝撃が走って、わたしの頭の中は教室の情景に縛り付けられた。うして、窓際に追い詰められたわたしは、
『飛べ』
 と、金髪の男子生徒に顔を近づけられ、命令される。わたしは震えていて。震えていて。震えていて。その表情を見ることができない。それから、
『飛べ』
 と。
『飛べ』
 と。
『飛べ』
 と。
 何度も何度も、上からも下からも左からも右からも、
『飛べ』
 と。
 長王ながおう宗悟しゅうごに言われ続けた。


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